クリエイティブサポート楓戎堂/特定非営利活動法人KAEDE


カラシと稲荷と松本と

部屋とワイシャツと私みたいなタイトルですが、歳がばれます。

図書館へ行っても、博物館に行っても、なかなかカラシ稲荷の文献と当たらないんですね。

そもそも、カラシ稲荷って「なんで松本界隈だけなの?」ってナゾが深まるばかり。

文献がない以上、想像にかまけるしかない! でも、どこから手を付けるべきか…。

で、手を付けたところが「稲荷社」。松本って、稲荷社が多いんです。町の中に。

新まつもと物語にも紹介されていたりします。

稲荷信仰は江戸時代に流行ったとされていますが、江戸時代は今ほど流通や情報網が発達していない(江戸期はそう簡単に移住などできなかった)ことを考えると、大名の移動と一緒に、信仰も伝わったではないかって考えるのが良さそう。

じゃあ、誰?

調べてみると、松平光則が怪しい。ちなみに、最後の松本藩主。戸田松平家14代だそうだ。

この人は、三河と縁があり、菩提寺は全久院。明治維新の頃、廃藩置県に伴い、神仏分離が進む中、長野県は廃仏毀釈(寺院はことごとく破壊された)時代があった。全久院は真っ先に取り壊されたという記録が全久院に残っているらしい。(それもあって、文献が残っていないのかも)

全久院は新城市の泉龍院の輪番寺だったらしく、松平光則は三河から松本に来ているようなので、豊川稲荷信仰を持ち込んだ可能性が高い。

豊川稲荷は神社ではなくてお寺。稲荷信仰と行っても、神道系と仏教系があって、豊川稲荷は仏教系では指折り。

まあどちらも、信仰の根幹に陰陽五行が見え隠れする。五行に関してはの詳細またいずれかの機会に。

ただ、簡単に図式化すると下図。

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水都松本などと言われるように(え? あまり言わないって? 実は水の町なんですよ!)水脈は町のあちこちを走っていて、湧き水も多いのが特徴。その水脈をコントロールするのに、陰陽五行の考え方=風水を取り入れていた可能性がありそう。

水は火を剋す。

上図の赤い矢印は「相剋」といって、相手と自分を相殺するものって考える。

だから、水の力が大きくなっても、大災害を引き起こさないように火を要所要所に配置するって江戸時代は考えたのかもしれない。その「火」が稲荷の「赤」に代表されると書いている「狐」の著者吉野裕子さんの考え方に乗っかりたいな。

そのくらい、風水が流行っていて、商都でもある松本(え? これも聞かない? 実は、城下町って言うよりも、商都なんです。松本は)のだれかが、カラシの黄色と風水を絡めて「カラシ稲荷」を考えたのだとしたら、これは結構松本らしいような気がするじゃないですか!

そうすると、カラシ稲荷は縁起物ってことにならないかい?

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